海外に住んでいると、
自分が言いたいことを外国語で表現することの
難しさに日々直面しますが、
同じ日本語を話していても、
お互いの話がなかなかうまく通じないことがありますね。


言葉などから受ける情報というものは
量が多ければ多いほど、正しく伝わる
と思われていますが本当でしょうか?


一つ言葉における情報の伝わり方の例として、
以前傍聴した「ランボーの詩と生涯」のなかで
私が感じたことをご紹介します。


講演者はドイツ人で、詩の朗読もドイツ語で行われました。
この中で、ランボーの詩「谷間に眠るもの」の紹介がありました。

この詩は本来14行の短い詩ですが、
ある日本人がこの詩を100行以上の詩に訳し、
それをスペイン人の詩人がスペイン語に訳し、
更にドイツ語で訳したという詩の紹介がありました。


その長い詩が朗読されいる間、
私は段々可笑しくなってきました。
だってこれはもうランボーの詩ではないし、
その日本人がランボーの詩を読んでそこから彼が感じたことを
彼の言葉で書いた彼の詩です。
(もちろんその後スペイン人とドイツ人の訳者が間に入っていますが)

でもこんなに細かく色々な言葉を駆使しても、
この詩の印象が読者全員に作者と同様の印象が
伝わっているかというと、それも違うと思います。


例えば「青い空」という言葉を聞いて
皆さんはどういう空を想像しますか?

「雲1つない青い空」「夏の入道雲のある空」「秋晴れの青い空」
「ドイツの青い空」「日本の青い空」等など
それぞれ違う空を想像されることでしょう。

1つの言葉から受けるイメージは、人それぞれ違うのです。
言葉を使えは使うほど、それぞれの想像するイメージが
かけ離れていくような気がします。

なんだか虚しいですね。

自分の気持ちを一生懸命伝えようとすればするほど、
相手の気持ちが離れていってしまうようで。

「他人は皆、自分が思っているように思っていないし、
自分が考えているように考えていない」

当たり前かもしれませんが、ついつい自分の意見や考えを
他人に押し付けていたり、
他人も自分と同じ考えだと思いこんでしまいますね。


こんな風に私が言葉の意味を色々考えるようになったのは、
やっぱりドイツに住むようになってからです。

自分の少ない語彙力で
どれだけ正確に自分の言いたいことを伝えられるか?

これは今だに私にとって大きなテーマです。

始めの頃はほとんど連想ゲームの世界でした。
お互い自分が言いたいことを違う単語に置き換えたり、
色々な例え話を持ち出したり、身振り手振り、
絵や写真を見せ合ったりしていました。

そんな風にして友達になって、
お互いの趣味等共通の話題をテーマに話が弾むようになり、
今ではかなりプライベートな会話、
内面的な会話も交わせるようになりました。


そこでつくづく感じたのが、
「言葉は文法や語彙力じゃない、心だ」ってこと。

お互いに相手の話を理解しようと思って、
真剣に話しを聞いていたら、相手の言いたいことも伝わるし、
自分の言いたいことも相手に伝わっていく。


ドイツ語が今だに満足に話せていない言い訳にも聞えますが、
これはなにも外国語に限ったことではなくて、
母国語としての日本語にも当てはまると思います。

いくら言葉が自由自在に使いこなせても、
お互いどれだけ相手のこと理解し合えているか?

逆に言葉なんか交わさなくても
分かり合える時もありますよね。


もちろん自分がいくら一生懸命相手に説明しても、
相手が全然知らないことを理解してしてもらうのは
かなり困難なことです。

反対に相手が説明してくれることに対して、
自分が何の知識も興味も抱いていなかったら、
退屈なだけです。

それでも、できるだけ知らないことや興味のないことにも
関心を示して、他人の話を聞くように心がけていたら、
色々異なった趣味の友人と交流が持てて、
今までの自分と違った世界が広がって楽しみも増える
のではないかと私は思っています。


ネットワークビジネスを口コミで伝えようとする場合も
最初から、聞く耳もたない人もいるでしょう。

私も最初に知人から、勧められた時は、
「マルチ」「ネズミ講」という偏見の見えない壁を
自分で築いていたので、話の内容が頭に入りませんでした。

もう外国語をきいている感じですね。

だから、本当にネットワークビジネスに関心を持っている方が
このサイトを見つけてくれるのを待っているのです。

その方がもともと興味があるから、
内容を理解しようと思って読んでくれるからです。


今日も、記事を読んでいただきありがとうございます。