海外に住んでいると、
一番の問題は言葉によるコミュニケーションです。

母国語のように、自分の思ったことがすぐに外国語で
表現できない時にはもどかしさを感じ、
自分の言葉が足らないことで、
相手に誤解や不快感を与えることもしばしばです。

それでも、友人たちとは言葉以外のことで
通じるものがあると感じています。

私のへたくそデタラメドイツ語を辛抱強く聞いてくれて、
理解しようとしてくれるのが本当に、ありがたいですね。


そもそも言葉とは、定義できないものだ。
という記事を読みました。

外国語以前に、言葉の定義がそれぞれ違う、
おなじ単語を使っても違うことを頭に思い描いていたら、
通じるわけありません。

私達が普段使っている言葉を「自然言語」と言います。
これは「厳密に定義できない言葉」だそうです。
個々の「自然言語」は厳密に定義できない
とはどういう意味でしょうか?


自然言語」には、大体2つのタイプに分けられます。

1つは、外部世界になんらかの指示対象を持つ言葉。
例えば、イヌとかネコのように、目に見えるもの。
具体的な動物の名前なので、イヌといえば、大体通じますね。
ネコを指さして「これはイヌです」と言う人は、ほぼいないでしょう。

もう1つは、頭の中の観念以外に指示対象を持たない言葉。
例えば、正義、平和、平等などです。

これらは外部世界に具体的な指示対象を持っていません。
殆どの人は、自分の頭の中にある観念としての正義を、
正義の定義だと錯認しています。
だから、自分の正義の観念と相手の正義の観念をすり合わせ、
場合によっては自分の観念を少し変更するでしょう。

言葉によるコミュニケーションとは、
お互いの観念をすり合わせていくことではないでしょうか?

私達のネットワークビジネスの場合、
殆どのコミュニケーションがメールのやりとりです。
文章でも同様です。
その言葉の観念がお互いに違っていると通じません。

それを少しでも埋め合わせるために、
スカイプで直接話しあって、
お互いの観念を確認し合うことも必要だと思います。